世界を股にかけるマーチャンダイザー。
その第一歩を、ここから踏み出しました。

interview

インタビュー

Profile

マーチャンダイザー 野元 咲希子

服飾デザインの専門学校を卒業後、アイドルのスタイリストを経て、JICA海外協力隊としてアフリカのナミビアでファッションデザインを教える講師のボランティアに携わる。帰国後の2020年、29歳で当社へ入社。

中国の食器メーカーとものづくり。

マーチャンダイザーの仕事は、営業メンバーに同行してお客さまの「こんな食器が欲しい」というニーズを理解し、商品企画にそれを伝えてデザイン画を起こしてもらうところから始まります。お客さまからデザインの承認をいただけたら、海外のグループ企業のメンバーたちとチームを組み、ものづくりをスタート。私の場合、中国広東省の潮州(チャオジョウ)オフィスの人たちとタッグを組むケースが多いです。メールや電話で「仕様上の品質を満たし、納期や予算を守れる工場」を見つけるために、見積りとスケジュール確認などを依頼。製造が決まれば細かい打ち合わせをし、試作、量産までのモノ作りのコントロールをするのが仕事の大まかな流れです。

潮州オフィスにはだいたい2カ月ごとに足を運んでいます。現地スタッフと依頼先の工場へ出向き、社長や工場長と面会。商談するだけでなく一緒にご飯を食べることもあり、さまざまな体験を通して異文化コミュニケーションのスキルを磨いています。国をまたいで「よい製品づくりを成功させよう」と同じ目標に向かうには、丁寧なコミュニケーションと壁を乗り越えるたくましさが求められますが、私にとってはそれこそがやりがいです。


前職は海外ボランティア。
デザイン講師で得た貴重な経験。

10代の頃からファッションに興味があり、デザイナーを目指して専門学校で学びました。卒業後はステージ衣装をつくるアトリエに入り、スタイリストとしてキャリアをスタート。人気アイドルの衣装を手掛けるという特別な仕事にワクワクしながら取り組みました。

その一方で、小学生の頃に特別授業で聞いた青年海外協力隊の人たちのボランティア活動の話が忘れられず、「私も海外で何かをしたい!」という潜在意識のような思いを持ち続けていました。

そんな中、ある高校時代の同級生が青年海外協力隊になったと聞いて、会うことに。「実は自分も興味があった」と打ち明けたところ、「ファッションを教える講師のボランティアもあるよ」と教えられました。「今のスキルを活かして長年の夢が叶うなら」と思い切って応募。服飾専門学校の講師として、アフリカのナミビアに派遣されました。ナミビアでは、自分の着たい服を新しくデザインするという考え方がまだまだ根づいていませんでした。ファッションデザインを教えることで、生徒たちが「こんな服をつくりたい」とイキイキと学ぶお手伝いをすることに、とてもやりがいを感じていました。デザインと英語、2つのスキルを活かして貴重な経験を重ねることができました。


シナノとの出会いのきっかけは、
「デザイン 英語」での求人検索。

2年の任期が終わり帰国。「今度は日本で何をしよう?英語が活かせるデザインの仕事なんてあるのかな?」と、何気なく「デザイン 英語 求人」と検索し、ヒットしたのは1社だけ。それが当社の求人情報で、結果的に運命の出会いでした。

入社後の仕事は、デザインワークを含む商品企画のアシスタント兼、海外仕入れにも関わるプロダクトコーディネーターというポジションでした。徐々に海外仕入れ業務の比率が大きくなり、2024年からお客さまと海外メーカーの間に立ってもの作りの調整役をする、マーチャンダイザーに専念することになりました。

ビジネスの現場でも、ナミビアでのボランティア経験はとても役立っています。国際交流やグローバルビジネスなどに関心がある人にとって、当社は安定した活躍の舞台であり、成長の場であることは間違いありません。